お元気ですか? 苺です!
苺(いちご)と書いて苺(まい)と読みます。
お盆っていつからいつまでなのか調べてたら、新暦と旧暦が出てきてわけわかんない!
じゃあまず新暦・旧暦のちがいから解決しようか
現在つかわれている暦(こよみ)は太陽暦(グレゴリオ暦)で、これを新暦とよんでいます。
日本では飛鳥時代に、中国式の太陰太陽暦を導入しました。
元嘉暦➡宣明暦➡貞享暦➡宝暦暦➡寛政暦➡天保暦と改暦され(これみんな太陰太陽暦)、天保暦を最後に太陽暦(グレゴリオ暦)に変わり太陰太陽暦は終わりをつげました。
太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦直前につかわれていた天保暦を、一般に旧暦とよんでいます。
旧暦・新暦のしくみ
旧暦の太陰太陽暦は、月の満ち欠けを基準にしていますが、ズレが生じるので太陽のうごきも考慮しています。
いかにもややこしそう…
まぁまぁ聞いてよ(^▽^;)
月の満ち欠けを基準にすると、新月から次の新月まで29.5日間なので1年間が354日になります。
全然たりない…
そう、だからこの問題を解消するために約3年に1度、閏月(うるうづき)をつくり1年を13ヵ月にして調整しました。
ですが13月というのが存在したのではなく、大きくズレたのが7月だとしたら、次の月は閏(うるう)7月としました。
やっぱりわかりづらい!
そうですね。一般庶民にまでちゃんと伝わっていたかどうかは、疑問ですね。
それにくらべて新暦は、地球が太陽のまわりを回る周期を基準にしています。
地球が太陽のまわりを1周するのにかかる時間は、365.24219日です。
そのため1年を365日として、4年に1度366日(閏年:うるうどし)にして調整しているのです。
旧暦から新暦になったのは?
明治改暦といって、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日としました。
なんでまたそんな中途半端な時に、改暦したの?
なぜこの時期に改暦したのか?
徳川幕府から政権を受け継いだばかりの明治新政府は、お金がなかった。
幕府の時代は年俸制だったが、明治に入ると月給制になった。
明治6年はうるう月が必要な年だったので、13回月給を払わねばならなかった。
だが12月2日の時点で改暦すれば、月給がひと月分不要になり、さらに12月の2日間分の給料もなしにできると考えた。
じっさい明治5年12月3日を明治6年1月1日に改暦して、うるう月はもちろん12月の2日間分の給料も支払われなかったという。セコイ💦
本来12月3日となるべきところを1月1日になったわけですから、旧暦と新暦は1か月ほどのズレがあるわけです。
これは太陰太陽暦から太陽暦に換算したものなので、間違いでもなく仕方のないことです。
海外との貿易も増え、外国と条約を結ぶことも多くなる日本にとって、世界に合わせることが必要となってきたのでしょう。